北方領土墓参に参加してきました
私の祖父で自坊の前住職は北方領土は歯舞群島の出身でございます。私は小学校のころ「歯舞諸島」と習った記憶がありますが、現在は名称を統一したらしく「歯舞群島」となっています。私は恥ずかしながら知りませんでした。それはともかく、群島と言うだけあってたくさんの島から構成されています。祖父はそのうちの一つである志発島(しぼつ)の出身です。他の島とちがい、海抜が高いところで25mほどしか無いため、船の沖合から見るとものすごく平たい板のように見えます。島までは「えとぴりか」という船で行きました。船内は立派で陸と変わらぬ生活ができました。島には港がないため、島まではライフジャケットを着用して「えとぴりかⅡ」という小舟に乗って砂浜まで行きます。もちろん無人島(最近は志発島に警備隊が常駐するようになった)ですからお墓周りは草だらけでした。私は長靴に布袍という格好をしてお参りさせていただきました。
祖父の家はもちろん島で漁師をしておりましたが、72年前の終戦後にロシア軍に占領されて北海道本土に逃げるように避難してきました。祖父から直接聞いた話ではないですが、ご門徒様からは夜中に銃弾が頭の上をかすめる中、泣きながら本土に逃げてきた話を間接的に聞いております。自分の命が祖父から父に奇跡的に繋げられてきたことは感慨深く、自分の命が他の命とのかかわり合いの中で生かされているということに気付かされた北方領土墓参でした。まさに、縁起の中で生かされていることを実感するばかりです。
お墓参りというと、亡くなられた霊を鎮めるための「鎮魂」とか、その地に眠る魂に今後の私達の繁栄をお願いする行為が多く見受けられます。しかし、浄土真宗の教えとしては、そもそも私達は凡夫(ぼんぶ)であり、そのような立場から阿弥陀様のお浄土に行かれた祖先にお願いする立場にあるはずもなく、いつでもどこでも(無量寿仏・無量光仏)見まもっていてくださることに報恩感謝するべき機会がお参りです。他のいのちに手を合わせるのではなく、他の誰でもない「私」の命を見つめるために手を合わせるのです。誰かのために手を合わせるのではないといいたいのです。ですから、本当は手を合わせる場所や時間に自ら決めて執着することなく、その機会を阿弥陀様が用意してくださったと考えるといいと思います。ですから北方領土に行かないと祖父に会えないわけではありません。私もいずれお浄土で祖父に会えるのです(浄土真宗のお墓には「倶会一処」と書かれているのはこのためです)。いつか必ずお浄土で会えることを倶会一処といいます。私たちが浄土に帰るのであって、お盆に都合よく祖先が返ってきたり、いつまでもお墓の下で寝ているわけではないのです。皆さんの言う祖先に会いに行くというのは物質的な「骨」に会いに行くのではないでしょうか。手を合わせるのは骨ではなく阿弥陀様(仏となられた祖父)です。ここがなかなか伝わりません。
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